2019年2月24日日曜日

02 24は   正義の味方 月光仮面登場の日












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2019 02 24 日曜日  AFF-1

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Anything not city views 
and personal belongings of the parts

なんでもない街の景色と身の回りの部品達.
Nostalgic past of the time axis and its image

年数違い02月24日の画像で御座います。

2001~2018

02 24は   月光仮面登場の日

1958(昭和33)年のこの日、
ラジオ東京(現在のTBS)で
国産初のテレビ映画『月光仮面』の
テレビ放送が始った。

月光仮面(げっこうかめん)は、
KRテレビ(現・TBSテレビ)と
宣弘社が制作し、
『タケダアワー』第1作として
1958年(昭和33年)2月24日から
1959年(昭和34年)7月5日まで
放送されたテレビ冒険活劇番組、
またその覆面主人公ヒーローの名。
川内康範原作。

キャラクターとしての月光仮面

月光仮面は、
悪人によって危機に陥った人々の前に
颯爽と現れる正義の味方である。

白いターバンと覆面の上に
黒いサングラスと白マフラー、
白の全身タイツに黒いベルトを着け、
裏地に色のついた白マントをまとい、
手袋とブーツを着けている。

祝探偵と同じ声色をしている。
正体ともども、衣装をまとった扮装者なのか、
超科学や神秘現象による変身者なのかも謎である。
能力的にも生身の人間なのか
超人なのか微妙なところがある。

月光仮面の実際の衣装の色は
白ではなく薄黄色だった。
マントは表が黄色、裏地は黒だった。
カラーで掲載される際や実写の
着ぐるみやフィギュアではその色で塗色されている。

悪事のあるところへ
オートバイに乗って駆け付け、
「月光仮面の歌」とともに颯爽と現れ、
悪を蹴散らし正しい人々を救い出す。

月光仮面は自らの正義の心と
身ひとつによって悪を懲らしめる。
4~5mは跳び上がれる常人離れした
ジャンプ力(片足跳びである)を持っており、
瞬間的に他の場所に現れることが出来る。

「憎むな、殺すな、
赦(ゆる)しましょう」
という理念を持ち
悪人といえども懲らしめるだけで
過剰に傷つけることはなく、
人命は決して奪わない。
武器として2丁の自動拳銃を持っているが、
もっぱら威嚇と牽制に使い、
発砲しても悪人の武器を
撃ち落とすためにしか使わない。

ターバンの前面には
三日月のシンボルを飾っているが、
これは月の満ち欠けを人の心になぞらえ、
「今は欠けて(不完全)いても、
やがて満ちる(完全体)ことを願う」という理想、
「月光は善人のみでなく、
悪人をも遍く照らす」との
意味が込められている。

この極めて東洋的な正義観は、
原作者の川内の実家が
日蓮宗の寺だったことが
影響しているともいわれている。

月光仮面の発想は
薬師如来の脇に侍する
月光菩薩から得られたもので、

「正義の味方」という言葉自体も、
「正義」そのものの神仏への
脇役的位置づけを示すものであり、
「決して『正義そのもの』ではない」
との意味を込めることに
川内がこだわったものだった。
川内本人は「正義の助っ人」
との表現を好んだという。

一方で川内は晩年、
鈴木邦男に対し、三日月の意味を
「イスラム」だと語った。

鈴木は『何を言ってるのだろうと思った。
でも、考えてみると、1960年代、
「月光仮面」の次は「七色仮面」で、
その次は「アラーの使者」だった。

だから本当なのだ。
昔から、イスラムに対する
憧れがあったのだろう』と回想、
推理している。

月光仮面のモデルになったのは、
極真空手総帥大山倍達であったとされている。
これは原作者の川内が大山に
「月光仮面は大山さんをモデルとして作った」
と直接話したとされ、
大山がテレビ番組に出演した際に
認めたことから明らかになった。

月光仮面が載るオートバイは、
ホンダの「ドリームC70」
(2気筒250cc)を白く塗って使った。
なお、ヘルメット着用義務(罰則なし)が
開始されたのは1965年から、
現在の形での義務化は1986年であり、
この当時はノーヘルや
ターバンでも特に問題視されなかった。

主題歌「月光仮面は誰でしょう」
作詞 - 川内康範 / 作曲 - 小川寛興 / 
歌 - 近藤よしこ&子鳩くるみ会

挿入歌「月光仮面の歌」
作詞 - 川内康範 / 作曲 - 小川寛興 / 歌 - 三船浩
当初は「月光仮面の歌」が主題歌として作曲された。













川内 康範

(かわうち こうはん、
1920年(大正9年)
2月26日 - 2008年(平成20年)4月6日)は、
日本の作詞家、脚本家、政治評論家、
作家。本名は川内 潔 (かわうち きよし)。
北海道函館市出身。

『月光仮面』を筆頭として、
1970年代前半に発表された
川内三部作とも呼ばれる
『レインボーマン』
『ダイヤモンド・アイ』
『コンドールマン』など、
日本の特撮ヒーローの草創期に活躍した。

漫画家の永井豪は
『月光仮面』の大ファンで、
パロディ作品『けっこう仮面』を
連載する前に川内に
製作許可をもらいに行ったところ、
エロ作品であるにもかかわらず
快く許可を出してくれたという。

おふくろさん騒動

(おふくろさんそうどう)は、
作詞家・川内康範が作詞した
楽曲「おふくろさん」の歌詞を、
同曲の歌い手である歌手・森進一が
勝手に改変したとして、
2007年(平成19年)に発生した騒動である。

森進一との関係

川内と森の付き合いは古く、
1968年(昭和43年)に
「花と蝶」で川内が
作詞を担当したときからの付き合いである。

元来、川内は親分肌の人間であるが、
森のそれまでの境遇に同情、
ひたむきだった人柄を気に入り
家族ぐるみの付き合いを始めた。

1973年(昭和48年)に
森の母が自殺した際には、
真っ先に駆けつけ葬儀を取り仕切ったほか、
自ら読経も担当した。

1979年(昭和54年)に
森が渡辺プロダクション
(渡辺プロ)から独立の際、
森は渡辺プロからの妨害を受けた。

さらに、渡辺プロは独立した
森を出演させるなら他の渡辺プロのタレントを
引き上げると各TV局に通告。

全民放は当時圧倒的な数の
人気歌手・タレントが所属する
渡辺プロに屈したため、
森は民放のテレビ出演が出来無くなってしまった。

しかし川内らが助け、
NHKへの出演だけは取り付け、
同年の第30回NHK紅白歌合戦には出場できた。
約半年後、川内の奔走によって
森サイドが営業活動の窓口の一部を
渡辺プロに依頼することで手打ちとなった。
その他、森のスキャンダルが発覚した際には
常に川内が火消しに暗躍していた。

その後も川内と森との間の関係は
良好であると言われたが、
実際には森の不手際と人付き合いの下手さに
川内は辟易していたと言われており、
2007年のおふくろさん騒動が起こると、
川内は森に対して絶縁宣言をし
和解することなく他界した。

月光仮面登場の日に思う事!

正義の味方と呼ばれる正体不明の人物。
この正義の味方と表現する間接的な立ち位置に、
第三者表現としてのバランスの良さが、
この月光仮面にはあったのだと思います。

我こそは正真正銘の正義なり!
の善の押し付け思想より幾分かソフトに感じました。

善とは何か?善は善のみでは誇張出来ず、
反対側の悪に対しての対比的な存在でしかありません。
悪の存在なくしてこの対極としての善は認められずに、
善単独での評価も存在も不自然になりますが、
この第三者表現の正義の味方という立ち位置は、
個人思想の善に対する協力的な思考回路だったのです。

自称 善の思想は本当の意味で正しく善なのかは、
自分の意志だけでは判断出来ないからなのですが!

2019 02 24

Single focus lens
Photo by Toshifumi Kako






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